デザイナーズ家具【ユーデザイナーズ】

フローレンス・ノール [New Items]

フローレンス・ノール

Florence Knoll Bassett

フローレンス・ノール

( 1917〜 )
アメリカ

アメリカを代表する家具メーカー「ノール(Knoll)」に多大なる貢献をした女性インテリアデザイナーであり、正統派のモダニストとしても有名な実力派として活躍しました。

ミシガン州のサギーノ市に生まれで小さなころから建築に興味を示したことから、キングスウッド・スクールに入学して建築を学ぶようになりました。しかし、彼女が12歳のときに両親と死別、孤児となった彼女を幼女として迎え入れたのがフィンランド出身の建築家であり、都市計画家のエリエル・サーリネンでした。
彼の息子である義兄のエーロ・サーリンネンと共に、技術や美術に関する討論を多く交わしてきたことは彼女が建築家として活躍する以前の大きな転機だったといわれています。

その後、エリエルが学長を務めるクランブルック美術アカデミーに入学して建築を学びます。同校には、後に夫婦になるチャールズ・イームズやレイ・イームズらと共にプライウッドの研究に尽力します。
アカデミーを卒業した後、旅行のために訪れたフィンランドで彼女が建築の原点だとしているフィンランド出身の建築家アルヴァ・アールトに出会います。彼が絶賛していたロンドンの建築学校AAスクールに2年間学びますが、第2次世界大戦がはじまったことでアメリカに帰国しました。

アメリカに帰国したあとは、アーマー工科大学(現在のイリノイ工科大学)に入学して、ドイツ出身の建築家であり近代建築の巨匠の一人とされるミース・ファン・デル・ローエのもとで建築を学びます。
大学卒業後はニューヨークに戻り、近代建築の四大巨匠の一人ヴァルター・グローピウスやモダニズムを提唱する建築家のマルセル・ブロイヤーの事務所で働きます。
そして、ここで出会ったのがドイツ人のインテリアデザイナーであり、世界的に有名なアメリカを代表する家具メーカー「ノール(Knoll)」の開設者ハンス・ノールです。その後、1943年に彼の誘いでビジネスパートナーとしてノール社に参加し、デザイン部門を担当します。
ノールでは、数多くのデザイナーズ家具の製作をはじめ、ニューヨークやシカゴ、パリなどに展示場を次々とオープンして顧客を増やし、1946年に二人は結婚しました。

ノール社での彼女の活躍は見事で、モダンクラシックの殿堂とも称されるほどのスタイリッシュなコーディネートは、ミッドセンチュリーの名作を多数発表しています。
そして、彼女の代表作として発表されたのが1954年の「フローレンスベンチ」です。このベンチは無駄がない完全主義を掲げたことで有名で、モダニストである彼女を象徴するデザインとして受け継がれています。
また、同じ年に発表した「1206 セッティー ソファ」は、フローレンス・ノールソファとも呼ばれ、シンプルで深めの座面が特徴的な座り心地がよくゆったりとしたサイズ感が特徴のソファです。建築と家具を融合した総合的なデザインを目指したバウハウスの考え方が伺えるデザインとして、美しさだけでなく機能性も追求されています。

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