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ミ―ス・ファン・デル・ローエ [New Items]

ミ―ス・ファン・デル・ローエ

Mies van der Rohe

ミ―ス・ファン・デル・ローエ

( 1886-1969 )
ドイツ

ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトらと共に近代建築の巨匠の一人とされ、20世紀の建築に多大な役割を果たしたモダニズム建築を代表するドイツ人建築家です。 彼が遺した有名な言葉に、「Less is more. (より少ないことは、より豊かである)」、「God is in the detail(神は細部に宿る)」などがあります。

ドイツ・アーヘンに生まれたミースは地元で製図工の教育を受けた後に、漆喰装飾デザイナーとして勤務しました。初めて手がけた建築作品は1907年のリール邸であり、このときの仕事が大きく評価されたことで後に、ドイツの建築家であるペーター・ベーレンスやブルーノ・パウルの事務所に在籍しながら本格的に建築を学びはじめました。

1911年に独立し自身の事務所を設立してからの躍進は言うまでもなく、1929年バルセロナ国際博覧会で建築したドイツ館「バルセロナ・パヴィリオン」の設計は、鉄やガラス、大理石から構成され、無駄なものを一切取り除いた大胆で革新的なプロジェクトであったことから国際的にも大きな評価を得ることとなりました。
博覧会後には一度取り壊されたバルセロナ・パヴィリオンですが、その後ミース・ファン・デル・ローエ記念館として復元されて現在もなお残されています。

博覧会に合わせて王様が座る椅子としてデザインされた「バルセロナチェア」は、王様の椅子やミースの椅子と呼ばれています。古代における力の象徴ともされるハサミをモチーフにX字の曲線を描く金属の脚部、そこにボタン留めがされたレザークッションと、無駄を極力省いた美しさと機能性を兼ね備えた設計は20世紀における最高傑作ともいわれるほどです。

1930年から就任したベルリンのバウハウスの3代目校長を務めてからは、廃校までをフォローする大事な役割を担い、その後はアメリカに移り住みバウハウスの理念を発展させるために尽力しました。 アメリカに移住して以降、建築に携わり続けた近代建築の巨匠ミースは生涯にわたり200以上の建築作品を世に残しました。世界的に有名な代表的な建築作品として、トゥーゲントハット邸‎、ランゲ邸、ファンズワース邸、シーグラムビルなどがあります。

ミースのモダニズム建築の理念である「ユニヴァーサル・スペース」は、建築物の内部の空間をより自由に使えるようにするという考えです。鉄筋コンクリートやラーメン構造の鉄骨建築が発達するにつれ広々として内部空間を実現させ、一つの部屋をより簡単に自由に仕切れるようなりました。

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