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イサム・ノグチ [New Items]

ル・コルビジェ

Isamu Noguchi

イサム・ノグチ

( 1904-1988 )
アメリカ

アメリカ・ロサンゼルス生まれの20世紀を代表する彫刻家であり、モニュメントや庭、公園といった環境設計や造園、家具や照明などのインテリア、さらには舞台芸術も手がける多彩な才能を持つ芸術家です。

3才の頃に来日して幼少期を日本で過ごしますが、その後が母子家庭とない母が建てた茅ヶ崎の家の設計を手伝うなど、多数の建築作品に携わることで芸術家としての基礎を築いてきました。

1918年に日本の学校を卒業したあとは、母からアメリカの全寮制学校への進学を薦められたことをきっかけに13才で単身渡米をします。しかし、同校が入学から1か月余りで閉鎖してしまい、行くあてのない土地で一人になってしまいますが、在学当初から彼の木彫りセンスを高く評価していたエドワード・ラムリー氏が保護者代わりとなり無事に高校に通学して主席で卒業を果たします。

その後は彫刻家の助手としてスタンフォードに暮らしていましたが、その後はコロンビア大学の医学部に入学して帰国した母親と共に暮らすようになります。
医者を目指して大学に通う傍ら、母親の薦めもありレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の彫刻家クラスに通うようになります。学校に通い始めてから3か月で初めての個展を開いたときに、美術学校の校長からの勧めもあって彫刻家として専念することを決心します。

ニューヨークで活躍していた日本人舞踊家の伊藤道郎の舞台で使用する仮面は、初めて演劇のデザインを制作となりました。その後は奨学金をもとにパリへ留学し、そこで出会ったルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの助手として抽象彫刻を深く学びます。

第二次世界大戦によりアリゾナの日系人の強制収容所に自ら入りますが、そこでも居場所を見つけることはできず芸術家の仲間の嘆願書の助けもあって退去し、ニューヨークに戻り彫刻制作に専念するようになりました。この時期に依頼を受けて制作したノグチ・テーブルは、彼が初めて手がけたインテリアデザインです。

孤独に悩まされ続け波乱万丈なときを生き抜いてきた彼ですが、1950年にもう一度日本にわたります。戦後の日本では、庭園の仕事やや伝統技術に触れるようになり、山口淑子と結婚(1955年離婚)した後に鎌倉の北大路魯山人で陶芸を学びながら、自身のアトリエと住まいを構えます。

鎌倉のアトリエとニューヨークを行き来しながら、石作家である和泉正敏をパートナーに数々の彫刻作品や、庭園設計、家具インテリア、舞台美術などの制作活動を精力的に行いました。彼のこれまでの業績を称えて、1986年にはアメリカ国民芸術勲章を受勲、1988年には勲三等瑞宝章を受勲が送られています。
そして、20世紀を代表する総合芸術家として、彼が制作した作品は今もなお世界中を魅了して愛され続けています。

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